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プレイコミック

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年12月18日(木)13時09分55秒
  神野 佐嘉江 短編小説集より 1994


    驚きの三部作作品
    今年、以前お願いしていた同人の本をついに手にしました。
    隠し持っているに違いない、同人誌に寄稿した作品以外のものも読みたかっ
    たから。本好きの私でも、それまでにあまり目にしなかった一種独特の世界
    を創り上げていると感じていたからです。
    数冊の中から一番目に読む本を物色しながら手にしたのが、渋い薄茶のA5
    サイズの冊子『神野佐嘉江 短編小説集』でした。第一作目がこの『プレイ
    コミック』。題からはとても想像できない世界です(編集部)





             プレイコミック




 洗濯を終えて妻は腰を伸ばす。それから次の作業に取りかかる前に、長い時間をかけて
腰の辺りを揉む。夜、こわばった筋肉を私が揉んでやると、妻はこもりがちの声でうなっ
た。
 妻の腰の痛みは、七・八ヵ月も続いたろうか。医者へ行くように、と私はすすめたが、
妻は子供に手がかかることを理由に、いつも言を左右にしていた。
 度重なることなので、私もとうとう業を煮やした。ある日、悪くって死ぬのはおまえだ
からな、とせいぜい嫌みを言った。翌日だったろう、彼女はあたふたと病院へ行った。
 何でも来るなら来るがいい、と私は思っていた。たとえ二つ目の悲惨であったとしても
私は自分に引き受ける気でいた。医者の見立ては子宮筋腫であった。私には聞きなれない
病名であった。家庭医学全書を調べると良性の腫瘍とあった。さすがにほっとして、私は
酒をあおってはめをはずした。
 妻の腰痛の訴えは、しかし、それからも続いた。今度も子供のせいだ。妻は医者にかか
る暇を見い出しえないと言った。そのうちに不穏当な出血を見た。病院へ駆け込んだら、
子宮ガンだった。最初の診断は誤診かもしれない、と今でも思っている。
混乱の中に妻はその病院で丁術をした。彼女はおびえていた。いちばん死に対するナイー
ブさを見せた頃だ。夢・を見たのか、ああ私はすんでのところで切り・刻まれ名ところだ
った、とまだその妖怪でも見つめているような面持ちで語ったりしかノ几気になってから
も、突然泣き崩れ、それが散歩の途中であったりすると、私を手こずらせた。 私の干が
依然その時の感触か党えている。抱き寄せると妻は小刻みに震えていた。
 その妻がまた病床にある。喘鳴(ぜんめい)していたからこの頃ガンはすでに彼女の肺
までも侵していたのかもしれない。
 彼女は変わってしまった。この頃は子供のおしめを縫うのに夢中で、私は止せというの
に、口に二・三枚、休み休みだが縫い上げる。一時の死に対する恐怖はどこかへ去った模
様だ。自分が生きている間に少しでも子供のためのものを残しておこうというつもりなの
だろう。
 妻は私のことを馬鹿にしているようであったが、その事に関しては私は割合平気であっ
た。妻の前で独り性を始末することさえあった。時々、妻は「あなた逃げていいのよ」と
いわゆる蒸発を勧めたが、居てもらいたいけれどもあなたの為を思えば、という響きの時
もあれば、頼りにならないから、という響きの時もあった。私はといえば、妻子は捨てる
まい、と固く心に決めていた。
 私は、息子の時に胃潰瘍を、そして妻の時に得体の知れない病を背負い込んでいた。夢
か現の物音に驚いてある夜半激しい胸の動悸を覚えたととがあった。翌日から手足がしび
れた。数日経つと肩が抜けるように痛み出した。そのうちに何かというと動悸がした。胃
潰瘍は一進一退で二年ぐらいのうちによほど悪くなっていた。吐血して死ぬことがその当
時から十分予想されている。
 それ以上に、私は敗北者だった。私の生命を犯しているのはむしろこの方だ。事件の顛
幸にほある。しかし不思議なことに、何がこうもまいらせたのか、いっこうに判然としな
い。今もってそうだ。それでいてその長い影は、私の生命を食い尽くすほど弊猛なのだ。
 かつての煮えたぎる情熱を懐かしむことはある。だが私が二度と再びそこへ身を投じる
ことはあるまい。何ものかが私の未来を奪い、私は私で再度それを打ち立てるつもりは露
ほどもない。私は幽霊のようなものかも知れない。どこにもいないし、少なくともこの世
にはいない。妻が私を馬鹿にするのもわからないわけではなかった。


 この頃私は東京の都心近くに住んでいた。古い洋館の二階を借り、六畳と四畳半に、妻
と子供それに私の三人が起居していた。自動車道から多少離れているとはいえ、朝方回転
窓を開けたりすると、淡い排気ガスが臭った。それでも私はこの住処が気に入っていた。
理由は幾つかあるが、まず筆頭に、出入り自由な大きな公園がすぐ傍らにあることを挙げ
なければならないだろう。
 その二階からは、公園の続きのような、隣家の広い庭と、その向こうの隙間なく並んだ
街の家並が見おろせた。くつろいだ時など、私は窓辺にたたずみ、空想にふけったことが
一度や二度ではなかった。

 四・五百年前、ここいらは、スダジイやアオキ、ヒサカキの生い茂る森だったろう。
一千年前、この森は精霊の住む聖域として人を近づけさせなかったろう。
 一万年前、家は草原の唯中に立っている。草が揺れるので野兎でも跳ねるのかと思った
ら、丈高い草を分けてひょっこり原始人が顔を出す。突然の展望に彼は驚き、不思議そう
に私の顔を見上げる。私は興味を持つが、彼の方はじきに引っ込み、私は待つが彼は二度
と姿を見せない。
 一億年前はずいぶん深い海の下だ。家は土砂やその他の堆積物に半ば埋まり、窓外に見
慣れない魚が泳ぐのを見ることができる。
 十億年前、海の中は著しく淋しくなる。目に留まる大型の生物は一匹もいない。辺りは
動かしようのない深い沈黙が代わって支配しているだろう。
 五十億年前、地球は誕生したばかりで、冷たい、零下二百度余りの岩石の塊り。いった
いこの岩石はどこでできたものだろう。
 宇宙創世と言われる百億年前までには、まだ地球の年齢とほぼ等しい五十億年が残って
いる。この問にもきっと地球のような存在と世界があったに違いない、とするのが私のい
つもたどりつく推測だった。つまり、そんな気の遠くなるような昔に、私らは生きていた
のかも知れない。同じような文明があったのかも知れない。してみると、私らの未来とは
たいへんな過去にあるかも知れないのだ。
 これから先こ一億年いや一千万年目には、私らの子孫は完全に絶えているだろう。また
もや見慣れない植物や動物たちで地球は賑わっているだろう。そして……
 私の空想とはざっとこんな具合いである。

 息子は独りで遊んでいて私と同じ部屋にいた。こいつのお袋は別の部屋だ。極という私
の息子は五つと八か月であった。本来なら私らは目を細めてその成長ぶりを喜ぶところな
のだが、私らには望むべくもなかった。極は三つの時に脳をかなり犯されてしまっていた。

 間もなく六つだというのに言葉も満足にしやべれない。私のことを「おとう」、母を指
して「かあ」、あと、「オシッシ」「ウンチ」に「マンマ」がせいぜい意味のある語彙と
いったところだ。
 にこにこしながら、「ぼくおもらししなくって恥ずかしい」とか「ぼくプリン食べて恥
ずかしい」とか、とんちんかんなことを言って私らを笑わせたのが最後だったろうか。こ
の時はそれでも頭が正常に働いていて奇妙な言説も単に恥ずかしいと嬉しいとを混同して
いたに過ぎなかった。
 急に行動が活発になってきたこともあった。 あれはこれより前、二つ半頃であろう。
不自由な狭い部屋をものともせず走り回る。冷蔵庫の上から飛び降りる。体当りはしてく
る。スペリ台からは落ちる。泥水を体に塗りたくる。妻は嬉しそうな悲鳴をあげていたも
のだ。
 その極が今は立って歩くことができなかった。手足がどこか狂っていてその用を為そう
とはしないからだ。子供はそれでも移動しようとするものだから、その奇妙な動きといっ
たら、表現するまともな言葉もないくらいだ。
 例えば、這って行こうにも手足が使えない。そこで極は首を使っていざっていく。腹這
いになってまず尻を高く上げる。次に肩と頭部との間の首を小刻みに伸縮し、少しずつ上
半身を前方へずらす。いよいよ体が平らになるとまた尻を持ち上げる。初めて目にした時
この動きは何かに似ている、と思ったが、何度か見ているうちに私は思い当たって膝を叩
いた。この動きは尺取り虫のそれだ。あの虫の!


 「取って来い! チョシ!」
 私は十分にはずんだ声でそう言って、肉屋で分けてもらった獣の骨を極の方へ放る。
 妻は嫌いなようだが、本人の極はことのほかこの遊びが気に入っていた。この遊びとい
うのは、現物を見せられたうえで遠くへ放り投げられ、それを捜し出してくる、例の犬の
訓練だ。こんな風変わりな遊びを極はどこでいったい覚えたのか不思議なのだが、外へほ
とんど連れ出さないから多分テレビででも見たのだろうと、一応踏んでいる。物が獣の骨
というのも、ほかの物では極が決して喜ばないので、いつとはなしに定まったものだ。
 極は私のかけ声で明るい笑い声をたてた。そして早速獲物を追いかける。
 取って来いチョシ遊びの時、極はいくらかでも速く進める動きをとる。即ち、尻上げ運
動とは反対に姿勢は仰向けだ。まず顎を突き出し加減に顔をのけぞらせ、首のアーチをつ
くる。次に頭を碇とし、体を押し気味にすると、自然と足元へ移動する。
 私もかけ声をかけるばかりでなく、同じ運動をして一汗流すのが常だった。
 目標に近づいたとなると、極は、仰向けからうつ伏せになり尻上げ運動に切り換える。
 さて、極と私は同じゴールを目指して双方から近づくことになるが。獣骨が鼻に接する
時、この遊びの一つの重要なポイントがある。つまり、間一髪、私は一声吠えて、獣骨を
ロでかすめ取るのである。でことでこがぶつかりそうになることも手伝って、極は面を伏
せたままの姿勢で笑い狂う。
 口の獣骨を、あらぬ方へ、(希望が持てる程度の遠方でないといけないが)放ることに
よって二度目のゲームが始まる。私も極も、仰向けになったり、うつ伏せになったりして
またぞろ獲物を追う。
 最後が何ゲームめかは微妙な問題で、極の期待感の量を計って決める。笑い声が力強く
なってくれば続け、少しでも下り坂になれば、そろそろ次の回が終わり、といった案配だ。
 最終の回なぞ、ゴールを目前にして、極は期待感から、腹這いを中止するほど、笑いの
発作を起こす。床の上によだれの小さなプールができる。私もすでに極と同じ大きさにな
って笑うのだが、まだ締めくくりが残っている。即ち、やおら経ったところで私は犬の吠
え声その他で競りたてて極を促すのだ。私は遠慮し、今度こそ極に獣骨をくわえさせる。
 極の顔は私の目の前にある。私はこの子の面(おもて)を見たい。あッ顔をあげた。何
という目の輝きだ! 口には骨をくわえ汗とよだれで薄汚れているというのに。目だけが
冬の星座に沈んでいるみたいだ。極は無理な姿勢なのですぐに面を伏せる。
 私はこの瞬間が好きで、子供が笑っている間中私も笑っている。四肢の不具にもかかわ
らず、血液に濡れて光る、整った筋肉を、私は思い浮かべてしまう。
 妻はこの遊びをみじめだというが私はそうは思わない。笑う極を美しいとさえ思うのだ。


 こんな家庭を、上京してきた親戚が訪れて来たことがあった。田舎の人のよくやること
で、連絡もしないで、荷物をいっぱい持ってひょっこり訪ねて来た。
 私は懐かしくて歓待した。久しぶりに故郷の話に花を咲かせようと思ったからだ。だが
その人は、尻も暖まらないうちに、一度降ろした荷物をかつぎ直して、わが家を辞した。
 後で伝え聞くと、ずいぶん息苦しかったということだ。そうかも知れない。


  「取って来いチョシ! チョシ!」と、私は喉を震わせた。子供ははしゃいで湧き上が
るような笑い声をたてる。極の催促がましいうなり声に負けて、ゲームを続行することに
した。例の骨がバウンドして床に転がる。
 そんな時にドブ臭いにおいが私の鼻をついた。すでに妻が身を動かしている証拠だ。私
は隣の妻を見た。妻が起きて来るのを私はひどく恐れていたからだ。
 もともと私は病んだ妻が風化する岩石である、というイメージを持っている。彼女が動
くと、その岩板が一つずつ剥げ落ちる感じがするのだ。サーモンピンクやどす黒い赤紫が
中には緑色のも混じった肉岩が、ドブ川に一枚また一枚と落ちる、その音を耳にする思い
がする時さえある。
 私は起き上がった。彼女はステレオに手を当て体を支え、そろそろと歩いた。用足しか
と思ったが、その為になら折れていいはずの道筋の所で妻は折れはしなかった。
 「水なら私が汲んでくるから」
 私はたしなめるように言った。 だが、妻は関係ないの、といったふうに首を振った。
そしてなおもこちらへ近づいた。
 彼女は岩山にいどむアルピニストを思わせた。即ち、ステレオや茶ダンスなどの家具が
岩塊だ。一本の命綱を頼りに、手触りで安全を確かめ確かめ、頂上を極めていく姿がそこ
にはあった。
 彼女が角を折れて冷蔵庫へとりついた時には、いっそのこと、疲れた馬車馬だった。家
具に手をさしのべ、それを掴んだとなると自らの体を引き寄せる、残ったわずかの力をか
き立てる態(てい)なのだ。だが彼女は急いでいるふうだった。
 彼女が骨につまずいてよろめいた。私が駆け寄ると、妻は、
 「近寄らないで!」
 と強い口調で言い、私を驚かせた。多分この頃はあまり耳にしなくなっていた調子だっ
たように思う。私はあっけにとられ、為す術(すべ)を知らず、妻が動くのを見守ってい
るだけだ。
 彼女は台所へ入った。そうしてすぐには動かないで戦車のようにしていた。今に崩れる
ぞ、と私は思った。駆け寄ろうという心か私の中で動いたのと水切りの鳴るのとほとんど
同時だった。
 私がその時足音を立てたせいだろうか、妻は私の方に向き直った。それからわずかの間
に何を見たか私は思い出すことはできないが、私の体には限度いっぱいのブレーキがかか
った。彼女の右手に、私は出刃包丁が光っているのを見たからだ。それは前方へ、外の方
へ向けられていた。切っ先が細かく震え、持つ手の震えをそのまま伝えている。


 ここに至って私は合点がいった。急ぐ様子なのも、私から離れようとしたのも、それに
第一、重いはずの体に無理をさせているのも、人を切る出刃包丁のためだったのか。しか
し私はいまひとつ腑に落ちなかった。刃物を立てる相手は私ではなさそうだし、本人の自
分に対してでもなさそうなのだ。そのためだろう、たとえ死を待っている私だとしても畳
の上で死ぬことを願っていたはずだが、紙製の出刃を向けられたかのように、彼女の前で
私は割合平気でいられた。
 ところが妻は壁伝いに横歩きし、子供の前で立ち止まった。子供をひたと見つめ、半歩
一歩と後退し、何か今にもはばたきしそうな勢いを持つ構えをとった。
 私には今や全ての事態が呑み込めた。妻は極を殺そうとしているのだ。あの強い目は子
供を殺せるか瀬踏みしている眼差しではないか。私は、妻が本気であることを悟った。
 「どうしたというのだ!」
 と、私は声高に詰問した。
 「極がふびんなの。残してはいきません」
 と、妻は低いがきっぱりとした声でこう言った。
 私には積乱雲のような怒りがこみ上げてきた。何か喉が破けるほど私はどなった。だが
心の中ではそれとは別の怒りの言葉が生まれようとしていた。それを掴みきれないまま私
がしたことといったら、彼女に飛びかかることだった。私が背後から抱きつくのと、彼女
が動き出すのとほとんど同時であった。私は腕ごと妻の胸の辺りを締めた。そうして自分
の手をいささか傷つけながら、彼女の手から、出刃包丁をもぎとった。
その時加えた私の力で彼女は床に投げ出された。


  私は体の中に、怒りという液体を抱えていた。で、それの赴くままに、私の歩き回る方
向もでたらめであった。凶器はその間に始末していた。拾い上げた所から人気のない方の
壁をめがけて私は無造作に、だが力まかせに投げつけた。が、壁は受け付けなかった。私
は床に落ちたのを拾い、狙った壁に深々と突き立てた。
 私は筋肉の血の色や不具の極ややがて訪れる妻や私の死のことを自分に向かって力強く
語っていた。私はそれらを妻に口でぶつけようとした。しかし、いざ言葉として引き出す
となると、うまくいかなかった。「俺たち親は死んでも、俺たち親は死んでも……」、で
絶句するのだった。今でも覚えているが、私はいささかうろたえ、あせった。
しかし、……にどんな言葉や文を持って来てもぴったり来なかった。考えの行き着く先は
決って、あの真つ赤な血の色をした筋肉なのだが……
 極が小さい心を傷めて、カタストロフィに遭遇したように泣いていた。私は自分の中の
言葉を捜すことを憤然として捨てた。


  妻は、床につかねられた衣布のように崩れていた。恐らく無理に握らされたものが何な
のかわけもわからず掴んでいたのだろう。私は彼女の耳元で繰り返し催促した。この骨を
投げろ……。彼女は初め、聞く耳は持たない、というふうに泣いていたのが、私の声を聞
き取るために、時には泣くのを止めるようになった。
 妻は驚いた様子だった。そして私を見つめていたのが、ぷいとあらぬ方を向いた。骨が
乾いた音をたてて彼女の手から落ちる。私は肯(がえ)んじなかった。
 骨は再び彼女の手の中に押し込められた。妻は観念してそれを放った。だがその態度た
るや、とんでもない方へは投げるし、投げるや否や、向きを変えて自分の寝床へ這い出よ
うとする始末なのだ。そのお座なりの態度で私の頭には血が昇った。私は彼女を引き留め
た。きっと余分の力がはいったのだろう、腰を抱かれた妻は悲鳴をあげた。
 妻は唇に色を失い、青い顔はいっそう青ざめていた。
  「どいてちょうだい」と彼女は怒ったように言った。
  [私はお布団へ戻るの]
 私は容赦しなかった。
  「極と骨で遊ぶんだっ」
語気を荒げて私はそう言った。
  「そんなことできるわけないでしょっ」
 私はこの言葉に逆上した。妻の背中をど突き、四つん這いにさせた。それから更に床に
突いた手を払って、腹這いにさせた。力余って彼女の頬をしたたか床に打たせた。彼女は
うぐっと言った。病勢が進むなら進んでも構わないだろう、私はその時そう思った。
 「取って来い! チョシー!」
 私は骨を放った。妻は大儀そうであった。私は彼女の尻を叩いた。妻はやっとのことで
動きだした。とても尻上げ運動と呼べる代物ではなかった。 ……左手がなんとか左へ伸
びたかと思うと、その方へわずかに移動し、右手がなんとか右へ伸びたかと思うと、その
方へわずかに移動し、こうやっていくらかでも進んだとうのに、今度は左足が後方へ伸び
体はそちらへ後退する……どこかアメーバの運動に似た奇妙な動きであった。妻はそれで
も骨へ向かって少しずつはかがいったが、私には、口を開けた黒い墓穴へ、のたくりなが
ら土まみれになって進む姿に見えた。
 極は、プリンでもないのに私のかけ声を聞くと泣くのを止め、たちまち笑い声を立てて
動き出した。腹這いの恰好から尻が高く持ち上がる。次に体全体が波打ちながら次第にな
だらかになっていく。また尻が持ち上がる。私が競りたてるたびに極の口から笑い声が宙
へ飛んだ。
 妻は声もなく体を丸めて横になり、肩でというか上体全体で大きい息をし、続けざまに
咳をした。極の筋肉が皮膚を透かして見えるか、と私は聞いた。妻は何とも答えなかった。
 極の方がゴールへ達するのは速かった。骨をくわえこんだ証拠に、物を吹き出すような
音、次いでけたたましい笑い声が起こった。笑いの発作で骨を吹き飛ばしてしまったのだ。
 あの笑い声が聞こえるか、と私は聞いた。妻は目をつぶっていたが、聞き耳を立ててい
るふうであった。 一緒に笑え、いや同じように笑ってみろ、と私は言った。とたんに、
妻は恨めしそうに私をにらんだ。一声でいい笑ってみろと私は催促した。妻は黙っていた。
一声でいいんだと私は催促した。妻はアハと嗄(しわが)れた声で笑った。違う、キャッ
キャッだ、と私はあえて訂正した。妻が私の命ずる通り、極と同じ笑い声を立てたのは、
そんな後のことではなかった。これでいつかはイチゴのような真っ赤な極の筋肉が妻にも
見えるようになるだろう。
 妻はもはや身動きすらならなかった。私は妻を抱き上げ肩を貸して布団まで運んだ。
 極はおしめのはずれた尻でうごめいている。極は何とか立ち上がろうとしている。四肢
を踏ん張った。それに体重を乗せると、四肢がぶるぶると震えた。それは生まれたばかり
の、濡れた仔牛のようであった。

(1972.12)

304

 
 

同人α編修後記集

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 5月22日(木)23時28分23秒
編集済
  .

                      同人α編集後記集
                        2010年5月(23号)~2013(38号)






23号『蝶の夢』  2010/5

今回掲出の作品(どうも古いな)、四十余年前の若書きのものも含まれます。久しぶりで
読み返してみると、我ながら清新な感じはします。




24号 『夢碍无(むげん)』   2010/8

 自分が無限を正面に据えたのは、五十代の半ば。もう少し若い頃に知っていればなあ、
という残念無念の感じがつきまといます。
 無限は現代数学のじつにバックボーンであり、それも百年余も前からそうであるとい
う。こんなことも知らなかったとはとこれまた残念無念。さらに、南無阿弥陀仏の「阿弥
陀」が、原語で無限の意味という。 西洋がこの頃展開するようになった無限を、東洋は、
二千年余も前から世界理解の柱としていた。こんなことも知らなかったとは残念無念。
僕にとって無限は3つも無念さのつきまとう概念であり世界観です。




25号 『颯』   2010/11

月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金
金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水
木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、そして月月火水木金金、月月火水木金金
とこの三月あまりこのように過ごしており、『α』もさぼっている次第であります。
もうしばらく続きますが、お許しあれ。




26号 『仮面』   2011/2

我が作品、若い頃に書いたままで内容の一部は赤面の至り今では恥ずかしい箇所がありま
す。αの倫理規定にふれるようでしたら、しかるべき箇所は■■の伏せ字にしてください。




27号 『こんとん』   2011/5

 『人の像をした美しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生
きようとの思いから、地球と人間の合体を試みたものです。 その後初老に至って「無」
「無限」が視野に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っておりま
す。
 このたびの震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対
して根本的な疑問を投げつける態のものでした。自分の「生きる」がやっとまともになっ
てきたような感じです。先々また新しい作品の展開ができればと思います。




28号 『震災列島』   2011/8

「震災列島」と自分でいいながら、作品にすることができませんでした。この度の3.11
大地震に関する新聞も「読売」「朝日」「日経」と集めておりますが、まだ全部目を通せ
ないでいます。 仕事がこのほど楽になってきましたので、これからかかれると思います。
『人の像をした美しい青い地球』も蔵から出しての掲出です。
まとまりがないところはご勘弁を。




29号 『兆』   2011/11

 だんだんストックが底を突いてきました。掲出のものは、新しい試みとして、冥界から
生を覗けば、という着想でやっていたものですが、このところちょっと離れていますので、
心がこもっているかどうか……。




30号 『沈黙』   2012/1

 皆さんに好評だったので「とんこづいて」、第五、六、七、八の続話を掲出します。
「よりよく生きる」とただの「生きる」がある。そうして「よりよく生きる」に奉仕する
ものが「価値あるもの」であり、そうでないものは値打ちのないものとして、わが視界か
ら消えていた。このことが我が生の事実としてこの頃はっきり分かってきました。
「価値のないもの」だって生の奇跡のうちです。 かくて「汚いはきれい」「ゴミは宝物」
「平凡は非凡」などと言うことになります。




31号 『遊び』   2012/5

    無し



32号 『造次顚沛』   2012/8

「瞬間」についてなにほどかのことが言えるようにこの一月余り奮闘してきましたが、
ハイデガー=古東哲明のみか、斎藤慶典にまで足を突っ込み、ずるずると深みにはまるば
かりで、いっこうにまとまりません。メモ的なものを掲出しても皆さんには少しも面白く
ないだろうと思われ、「一瞬」からははずれますが、ハイデガー=古東哲明流のそれの理
解のために必要と思われるα位相β位相の紹介に今回は変えました。)




33号 『無常』   2012/11

 九月に入ってから家屋の耐震補修工事をし、十月頭に終わりましたが、これでやっと
人並みの家になりました(と言っても新築には劣り、震度六強に耐える程度か)。
なにしろ、築三十年を超えるしろものですから。
今ではそれでも気が大きくなって「大地震よ、いつでも来い」の心境です。
 新作はできておりません。
というわけで、『人生詩』前々回の続きを載せることにしました。




34号 『息吹』   2013/2

 お待たせしました。原稿を送ります。よろしくお願いします。当方、一冊の本の翻訳の
仕事を請け負い、英語漬けの毎日です。朝も昼も夜も英語。土日も祭日もありません。
暮れの十七日から毎日がそうです。正月もありませんでした。今日辺りがちょうど折り返
しで、この状態がもう四,五十日続く見込みです。それが終わってからまた文学・哲学に
帰ります。




35号 『ラビリンス(迷宮)』   2013/5

 鼻が利かなくなっているのに気づいた。コーヒーもカレーも匂わない。それぞれ美味し
いと思うものの、どこか似たような感じで終わっている、という感じです。
一方、「生きてみなきゃわからない」と若い頃から思っていましたが、この頃「生きる」
も少しずつまとまってきています。片足棺桶に突っ込みながら、生成も自ずと成っていっ
ております。




36号 『言葉』   2013/8

 このごろまた詩や哲学に戻りつつあります。自分は、若い頃、人生生きてみなけりゃわ
からん、とうそぶいていました。七○年生きてきたけど、結局どうだったんだ。そろそろ
括り上げるなり、まとめ上げるなりしなければならないと思っています。
「人の形をした美しい青い地球」と合体させよう。このごろこの線で動いています。




37号 『古典』   2013/11
 『人生詩』を掲載している。十代・四十代・六十代、それぞれどんな生を営んでいたか。
同一期日をみることによって、世代の違いも見えておもしろかろうと目論んだもの。
七十代に入っている今、ジジ・ババライフを楽しんでいる。僕は親に請われて孫のお勉強
を見ているし、妻は孫に会いたさに先方まで一緒についてきて、下のほうの孫と戯れてい
る。
十代・四十代・六十代には思いもよらなかった生だ。八十代になればまたそれまでに思い
もしなかった生を営むこととなろうか。




38号 『心情風景』   2013/11

 先日、「やまとの湯」に浸かった。根津の湯も黒く、家族は「黒い湯」と言っていたが、
ここ町田郊外の湯も黒い。幾つかある湯船の中で小生は三十九度に、一時間浸かった。風
呂を上がればビールで乾盃。小田急沿線在住の柔道部の集まりだった。総勢五人。ビール
に次ぐ水割りは、一杯に終わるか、せいぜい三杯どまりで、かつての大酒飲み連中の酒量
もめっきり減っていた。

109

 

探梅行

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 5月13日(火)07時06分29秒
  青春のあの日  1991
.

                   探梅行 




  春夜三更睡未成     春夜 三更 睡未だ成らず
  美人秉燭探梅行     美人 燭をとりて 探梅行
  管弦何處東風急     管弦いづこより 東風急なり
  細細繁星無限情     細細たる繁星 無限の情

美人はあきたらない。
雲に乗った。

何万本あるだろう。梅林である。美人は青竜刀をはらった。振り下ろすと一刀のもとに細
かくもない枝が落ちる。と、その幹から人とおぼしきうめき声が発せられる。一本から次
いで万本から。美人は快い。これまで死んだ全人類の声だ。「うめき」

「おうめ」の「もうめんと」
音の鳴る木だ。美人が切りつけると今度は歌いだした。



抜き身を揚げながら呂后(りよこう)は聞きほれる。

「いきうめ」は人が埋まっている。呂后が埋めておいたのである。生ある奴は意を迎えよ
うとする。近づく、と目が輝く。御衣(おんぞ)の裾をからげてなま温かいものをぶちかけ
るともううっとりだ。肉汁を滴らした者からは枝が出ている。花はない。

帰りしな深い山へ入った。
静かな谷を望んだ。
思いがけず老梅が咲いている。

  老梅黒樹白皚皚     老梅 黒樹 白皚皚(がいがい)
  数朶清香絶鮚埃     数朶(すうだ)の清香 鮚埃(てんあい)を絶す
  半幹崩軀何太巧     半幹 崩軀(ほうく) 何んぞはなはだたくみなる
  深山幽谷為誰開     深山 幽谷 誰が為に開かん

89

 

神野氏作「大首絵-4」評

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 4月22日(火)16時48分46秒
編集済
  .


            神野氏作「大首絵-4」評





   神野氏エッセイ集のトップ画像「大首絵」に対するコメントがあります。
   勝手放題の評が繰り広げられていますが、ご本人は何を思いながら描いたのでしょう。
   笑って「僕のカミ(神)さん」と言いそうな気もしたが…。
      最後にご本人のコメントがあります。




26号著者画像とコメント集 より  2011/4/24

またまた神野氏はお出かけで町田の屋敷を留守にしている。テレパシイ通信によると、い
まオリオン座の近くで起きた時空の捻れを修理しているとのこと。だから今回も写真が用
意できず、絵で我慢してもらいましょう。

何の道具でその捻れを修理するのかと問うと、和と洋を融合した武満徹作曲の 『ノヴェ
ンバー・ステップス』のCDを使うという。音楽を流せば時空の捻れが直るのかどうかは、
私の脳みそではとうてい理解できない。まあゆっくりオリオン座に腰掛けてその音楽を楽
しんできてよと返事しておいた。だから彼の書いた絵画帳から自画像らしきものを選んで
投稿した訳だ。想像の世界では独断や偏見という文字はどこにも見当たらないから大丈夫。

この絵は神代の角髪(みずら)を結っている神野氏のように見える。さてはこれは若かり
し頃の自画像で、 眉目秀麗の誉れ高き王子だった故、女性神のアマテラスが角髪を結う
呪術的な異性装を思わせるものがある。
   古賀 和彦




「人の像をした美しい青い地球ー前書きの絵 評の2」 より 2011/4/27

 パーツが一つ一つ生きていて、組み合わさって人の像になる。男か女かどうでもいい。
神野氏かどうかもどうでもいい。ちょっと目、フランス南部の気の良い子育てと料理に夢
中のふくよかなおばさんにも、我が儘なでもなぜか人気がある女優にも見える。じっと眺
めていると想像が膨らむのだ。気になった部分は三点、髪の毛と目と襟元だ。
 あの髪の流れ。縄目文様、撚糸の組み合わせにも見える。縄文の力強さと弥生の工夫も
ある。所々毛が飛び出て意志の強さを感じさせる。髪の次は目、四角の目に水色の瞳だ。
その右目から鼻、口を飛び越してのど元に走る一本の線。この人を貫く何かなのかもしれ
ない。最後襟元の赤と青の柄。単純に見れば花柄のようにも見えるけれど、この大柄の人
物には大きなイヤリングにも見える。じっと見続けると、向かって右、なぜかベンチに座
り顔を眺めている人の姿にも見える。勝手に想像が膨らむわけだが当の本人はしらっと一
人の女性を描いただけかもしれない。フランス語を教えてもらった忘れられない彼女、ま
たは理想の女性 ― 。
 詩と絵はよく似合う、同じく短編小説には音楽。そんなイメージを持っている。
この絵は今回の詩とよく似合う。
  万理久利




「人の像をした美しい青い地球ー前書きの絵 」より   2011/4/29

 私も先ず神野さんの手になる絵について、赤松さん・万理さんが述べられた感想の他に
お二人とは少し異なる観点から述べてみよう。
 先ず、襟元の赤青紫の飾りは、勾玉やガラスの直管などを連ねた首飾りのように見える。
さらに、画像を拡大縮小しても、大柄でかつ万理さんが指摘するふくよかな感じが失われ
ることはなく、自信にあふれた女性像を示しているようである。
つまり、太古の母系社会の堂々たる女性指導者すなわち巫女を象徴して描かれた絵なのだ。
だからこそ万理さんが指摘した以外にも、その頭髪中には色々な人の姿が垣間見える。
 さらに色使いをよく見ると、この絵の基調色は青色であることが、非常に重要である。

 今上に挙げた諸点を総合すると、この絵に描かれたのは、地上にあっては青が好きな地
母神であり天空にあっては青く美しい地球が大好きな京子さんこと女神ラートリなのだ。
因みに、今回の作品にも、この京子さんが出演している。

 赤松さんによると、この絵を描いた神野佐嘉江さんこと本名サカエ・ル・カミノさんは
現在オリオン座の近くで起きた時空の捻れを修理中とのこと。
内実は、勤務の合間に我々に隠れて、この京子さんと同所でデイト中であると見た。
もちろん語り合う言葉には、宇宙語が使われて居るに違いない。

 あ、そうだ。
京子役の女優さんも今度の製本前に決めておかないと、コンペに間に合わないな。
   長岡曉生




「北君からの掲載依頼にて投稿を代行します」より  2011/5/8

 ときに古賀君、「コメント集」で、拙作のキャンバスを久々目にしました。これは色重
ねが美しくなるように気は遣いながらも、自由気ままに、筆を走らせたものです。何を描
こうというのではなく、ある所でエイヤッと人の顔を拾ったという製作過程です(『言葉
集め星創り』の製作と同じこころ)。歌麿にならって「大首絵」と称しています。自分で
言うようですが、いい絵じゃないですか(笑)。懐かしいです。
有り難う。
   神野(北勲)

67

 

著者画像とコメント集

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 4月10日(木)08時42分6秒
  .

            著者画像とコメント集
                                   2007/13号-2012/30号




       氏は写真が苦手なようだ。映るのも撮すのも。ましてや自分が映った写真
              にあれこれとコメントを付けることはトント興味がないようだ。それでも
              編集会議のときには快く被写体になってくれる。
              22号以前の資料が揃わず、二作のみの復刻に終わってしまった。(編集部)





『始原へ遡ろう 第一 ぼうふら』 9号
2007/3/4

さて、明日5日よりいよいよ合評が始まります。まずは神野佐嘉江(北 勲)氏作品の「始
原へ遡ろう 第一」からお願いします。なお、同人αブログに彼のポートレートを掲載し
ますので開けてみてください。
          

河口湖畔に建つ「辻が花」の久保田一竹美術館を訪れた時の写真。数年前とは言えまだ充
分若い。この難解な散文詩はその若さの脳力から生まれたものなのか?                   赤松次郎





『神野佐嘉江 パラレル宇宙 第一』 12号
2007/9/14

          

一見ランダムで繋がりのない言葉の世界を遊泳する彼の詩は、我々には理解不能と思え
る原始の世界を覗かせてくれるようだ。ともかく何の変哲もない、その辺にゴロっと転
がっている語(シニフィアン)を言葉(シニフィエ)に変化させる技は並ではない。
赤松次郎





『人の像をした美しい青い地球』 23号
2010/5/25

          

神野 佐嘉江氏のポートレート

彼のこのポートレート(右:神野氏)は長い付き合いの僕にとって、二つの珍しい事が認
められた貴重な証拠写真である。時期は昨年11月、場所はいつも同人誌の出版作業をする
僕の事務所。
その二つとは
一、は昨年の同期会への久しぶりの出席。
二、は背広を着た姿を披露してくれたこと。

同期会は毎年行う訳だが、彼はなかなか出席してくれない。その理由はいろいろあるよう
だが、もともとあまり世俗的な話題には興味がないようなのだ。
また、背広にネクタイ姿は彼がまだ英会話の教材を扱う会社に勤めていたころに一度見た
ような気がする。もう30年以上前のことだと思う。だからこれは珍しい写真なのだ・・

  古賀和彦





『人の像をした美しい青い地球』 24号
2010/9/17

          

神野 佐嘉江氏 賛

神野氏は誰にも判らない宇宙の遙か彼方に住み、時として美しい地球を愛でるため、宇宙
を満たす暗黒物質(ダ-クマター)をかき分けて、「宇宙空間歪曲航法(ワープ)」とい
う超光速航法で瞬時にやってくる。彼がつぶやく宇宙語は我々地球人にはまことに難解で
はあるが、とても美しいと感じることはできるから不思議だ。

そのように神出鬼没だからなかなか姿を写した写真を私は多くは持っていない。これは
2003年に上野不忍池を経て東京芸大を出たすぐの路地の角にある 桃林堂の「もなか」を
求め、50億年前に神野氏が学生時代に住んだ下宿屋を巡り、伊豆栄で鰻重を食し、神野
氏の大好物である岡埜栄泉の塩大福を買い求めて遊んだ一日の喫茶店での写真である。
7年前と今は宇宙語で満たされた秀でた額や、髪の色の具合や量はちっとも変わらない。
それもそのはず70億年も生きている神野氏にとって7年は一瞬のまた一瞬に過ぎないの
だから。
   古賀和彦





『人の像をした美しい青い地球』 25号
2011/1/3

          

神野佐嘉江(無限回廊-認識番号5:サカエ・ル・カミノ)氏の賛
サカエ・ル・カミノ氏のイメージ写真は勝手に私がこれに決めた。なぜなら私の写真のス
トックには最早彼の写真が見つからず、そうかといって最新の写真を送ってくれるように
頼むにしても、何億光年もの彼方の問題解決に要請されて出かけたのか、一向に掴まらな
かったからだ。私はこの姿に「宇宙神祇官」(宇宙の美と法則を司る人)と名付けた。
実際はcoppers早川(早川篤史と早川克己氏)の銅による作品で、作者早川氏のコメント
としてDream (435) 祈りをささげ、今日も旅を続ける。その先に何がみえるだろうか。
と書いてある。まあ私の印象と作者のコメントはまんざら間違ってもないと思っている。

私にとって宇宙語で語る神野氏は森羅万象の世界の規範を司るような、計り知れない悟を
持つ人だと思う。 大乗仏教の唯識論に見る、八識は1.眼識, 2.耳識, 3.鼻識, 4.舌識,
5.身識,6.意識, 7.末那識(まなしき), 8.阿頼耶識(あらやしき)」の8つの心の機能
が定義されている。眼・耳・鼻・舌・身の識というのは一般的な五感の感覚・知覚機能の
ことを意味していて、意識とは想起可能な意識領域の思考や解釈の心の働きのことである。
その最後の人間存在の根本にある無意識の 世界阿頼耶識(アラヤ識)で世界を包括する力
を持っているような神野氏だと思っている。いまごろは宇宙の何処を旅しているのだろうか。
それとも町田の繁華街で丁半賭博の取り締まりでもしているのだろうか。
  古賀 和彦




『人の像をした美しい青い地球』 26号
2011/4/24

          

神野 佐嘉江氏の讃
またまた神野氏はお出かけで町田の屋敷を留守にしている。テレパシイ通信によると、い
まオリオン座の近くで起きた時空の捻れを修理しているとのこと。だから今回も写真が用
意できず、絵で我慢してもらいましょう。

何の道具でその捻れを修理するのかと問うと、和と洋を融合した武満徹作曲の 『ノヴェ
ンバー・ステップス』のCDを使うという。音楽を流せば時空の捻れが直るのかどうかは、
私の脳みそではとうてい理解できない。まあゆっくりオリオン座に腰掛けてその音楽を楽
しんできてよと返事しておいた。だから彼の書いた絵画帳から自画像らしきものを選んで
投稿した訳だ。想像の世界では独断や偏見という文字はどこにも見当たらないから大丈夫。

この絵は神代の角髪(みずら)を結っている神野氏のように見える。さてはこれは若かり
し頃の自画像で、眉目秀麗の誉れ高き王子だった故、女性神のアマテラスが角髪を結う呪
術的な異性装を思わせるものがある。
   古賀 和彦





『人の像をした美しい青い地球』 27号
2011/7/31

          

神野佐嘉江氏のポートレートと讃

今回も宇宙神祇官である神野氏は宇宙のどこかへ「ヤボ用」で出掛けたみたいで姿を見せ
ない。今迄は我々サイドの宇宙秩序だけを管理すればよかったのだが、彼も人が良いから
反宇宙の管理まで押しつけられてしまって忙しそうだ。
そういう訳で「オキシモーラン言葉遊び」の一番弟子たる赤松次郎が、今回も再び勝手に
彼が描いた自画像を載せて済ますことにしよう。そして地球に帰還した暁には岡埜栄泉の
塩大福か伊豆栄の鰻重でもおごって事後承諾をさせればいいと思っている。

さて、この絵は「人の像をした美しい青い地球」になる30数億年前の、恐らく地球の誕
生から10億年くらい経た姿と思われる。なぜなら、セザンヌの「サント・ヴィクトワー
ル山」に描かれた青を基調にした美しい色合いがすでに見られるものの、とても「人の像
をした美しい青い地球」とは言い難い。止めどない欲望や猜疑や嫉妬などに満ち満ちちた
まだ未熟な人間の心の現れのように、この自画像は地球の内部のマグマの活動が激しく、
または流星群の衝突により凸凹に殴打されて出来上がった憤怒の形相にしか私には見えな
いのだ。私は、地球がいつからこんなに「人の像をした美しい青い地球」になったのだろ
うかという疑問と興味を抱くのだが、その経緯と姿の美しさは神野氏の記述する詩によっ
て感じるほかはないようだ。
赤松次郎





『人の像をした美しい青い地球』 28号
2011/8/28

          

宇宙の彼方から届く「宇宙語」を10桁の数字に変換して、地球語に翻訳している神野佐
嘉江宇宙神祇官の珍しい姿。その宇宙語の内容は

月曜日:アンドロメダ座からは宇宙戦艦ヤマトが拡散波動砲の調子が悪いと言ってきた。
火曜日:カシオペヤ座からは人気の寝台特急カシオペアの予約がもうすぐ一杯になるから
    申込みを急げと言ってきた。
水曜日:ケンタウルス座からは手袋と馬蹄を注文したがまだ届かないと言ってきた。
木曜日:やまねこ座からは注文の多いレストラン「山猫亭」の経営状況を報告しろと山猫
    会長か癇癪を起こして矢の催促。
金曜日:一角獣座からは V838 Monはアウトバースト起こし、太陽の60万倍も明るくな
    ったが、その後再び減光している。このまま消え去るかどうか不安だ、宇宙神祇
    官殿に是非お祓いに来てくださいと泣きついて来ている。

などがあるが、総じて宇宙からの通信は「人の像をした美しい青い地球」に君達は住めて
うらやましいとの宇宙語によるメッセージがほとんどを占めている。

だが、たまの地球上の休暇も神野佐嘉江宇宙神祇官にとっては、同志達と池之端あたりで
鰻重や塩大福を賞味する暇はなかなか望むべくもないのが現状である。
報告 古賀和彦


土曜日:宇宙の騒ぎはよくわかるよ。大変なのはよくわかる。でも地球の地震はもっと怖
    いのだ。座っているこの椅子が上に突き上げられ、本棚の本が乱舞し、おまけに
    食料までままならない。放射能なるものまで飛び交いじんわりとDNAを狂わせ、
    命を奪う。
日曜日:こんな時はやはり気分を変えて吉原だ。橋は壊れていないようだから入れそうだ。
    とびきり哀愁漂うお嬢さんを選んで宇宙語でおしゃべりをする。女は地球の神、
    宇宙の神かもしれない。18になったばかりのお嬢さんの肌は宇宙空間ではお目
    にかかれない、絹のしなりと包み込む快適な体温、地球はやっぱり奇蹟の星だ。

美しい漆黒の墨で書かれた神野佐嘉江宇宙神祇官のメモである。
追加報告 万理久利





『冥界から覗く 人の像をした美しい青い地球』 29号
2012/1/8

          

神野佐嘉江氏のポートレート及び讃
◆神野氏は最近宇宙神祇官の仕事もサボル要領を心得て、少し自分の時間を持てるように
なったと聞く。とにかくいままではミクロの量子力学の世界からマクロの相対性理論の世
界まで、宇宙の絶対的法則を守るために東奔西走していてなかなかその姿をとらえられず、
私とは辛うじてテレパシーでしか意志の疎通ができなかった。それゆえ世間では神野氏の
存在さえ疑わしいと言い出す始末。この写真は11月17日同人α第29号出版、そして慰労会
の時のもので、顔の色艶もよく破顔一笑した爽快な姿は「冥界から覗く人の像をした美し
い青い地球」を書いた冥界からの投稿ではなく、今まさに我々サイドの世界に現実に存在
していることを証明するものである。
赤松次郎

◆そうかこの人が神野鳩いや神野鳥(コウノトリ)さんか。よく見ると子どもをたくさん
呼んできてくれそうなお顔をしてる。少子化時代、なにやらこのお方の価値がぐぐっと増
しそうな予感がします。それにしてもどうやって子どもを呼ぶのかな。色いろ色知ってい
そうなお顔です。
エヴァ




『冥界から覗く』 30号
2012/4/2

          

神野佐嘉江さん 讃
クリックすると元のサイズで表示します同人に参加した2009年の秋、入ったばかりで
大慌てで形ばかりの作品を出しました。仕組みも、同人の人達も全く判らないまま、まず
手にしたのができあがった同人α21号でした。書いてみよう、を手探りで始めたのです
が、評を入れるのはもちろん、仲間のことを知るには作品をまず読んでみる、これに尽き
ます。そんな中で一番驚いたのが神野さんの作品『言葉集め星創り五拾番』より 参拾番
 密と罪の花火、でした。

もちろんこの人のことは何一つ知らないわけで、電子作品集でどんな作品をこれまで書い
てきたのだろうと回り道を大分しました。過去のものでは「生きる」特集に著者の投げか
けと、ご自身のコメントが印象に残りました。興味はありつつわからないままきましたが、
23号から始まった『人の像をした美しい青い地球』シリーズはすこしだけ判ってきた様
な気がしました。

自分とは違った次元でものごとを考え続け、表現し続けている人なのかもしれない、そう
に違いないと思い始めました。1回ではわからない作品も続けて著者の作品を読み続ける
ことの大切さを感じています。難しいようで、ただの言葉遊び、遊びのようで、深い意味
が隠れてる、著者が意識しようとしまいと。難しいようで、なんと判りやすい言葉を使う
のだろうかとも思いました。多分言葉を大事にしている人なのだと思います。

さて、写真は今年始めの姿です。どなたかが「宇宙審議官」と言いましたが、よくよく見
るとそんな風情が確かにあります。
古賀 由子

57

 

テーマ前書集

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 3月 5日(水)21時16分56秒
編集済
  .

          テーマ前書集 2002-2007




 二十数年前に発行が始まった佐高11期生による同窓誌『斜光』のTOPを飾ったのが
氏の「巻頭言」であれば、そこから出発した文芸同人誌『同人α』を飾るのは、テーマ提
供者による「前書き」であります。
 斜光におけるそれと同じく氏による同人α前書きは毎回、魂の深淵にふれる重厚な趣が
あります。





第7号「生きる」  2006/5

「生きる」特集 前書きに変えて

 先だって、次のような文面をそえて、会員同人諸君に厚かましくもアンケートをお願
いした。

 「オモテ面の『生きる』と題したカードは、今回編集担当の北が、恥ずかしながら(文
学は己の恥を世間にさらす、とも世に言われています)、己のそれをまとめたものです。
 北は若い時から『生は、生きてみなければわからない』との持論でした。このほど六
十歳を超え、生きてみたその自分の生を、それではとあれこれ検討し、まとめてみたわけ
です。こうやって事書きに単純化してみたり、若いときからの日記を読み返したら、カー
ドに表した『生きる』とはまた違った、生の新たな相も見えました。思わぬ副産物に、面
白いものだなと思った次第です。
 北のこのカードを一覧して、同人諸君は何を思ったでしょうか。これを或る友人に見
せたところ、一瞥後『ジコチュー』と言い放ちました。『ではそういう自分は』と問いか
けると、『学者を夢見たがあきらめ』云々と、自分の『生きる』を簡潔に述べてくれまし
た。
 担当者の特権で、わがままを言います。同人の皆さん、お願いです、北のこの『生き
る』を忌憚なく批判して下さい。カードになにくれとなく書き込んで下さい。そして御自
分の『生きる』をもしよければ教えて下さい、僕の私の『生きる』はこれだと。人の数だ
け『生きる』があること、それがまた楽しみになります。北の『生きる』を位置付けると
ともに、その楽しみも味わいたいと思って、右お願いする次第です。以下、お願いをまと
めます。
―記―
 ①北の『生きる』を検討・批判して下さい。遠慮のないご意見を下さい
 ②(できるなら)自分の『生きる』『自分はこう生きた』を簡単な箇条書きでもけっこ
うですから教えて下さい。」


アンケート
 1.(肉体面)=(生物としての)生命を保つ。
    ・バランスよく食べる。
    ・危ない所には近寄らない。
    ・ちりも積もれば山となる。

 2.(精神面)
          ………原理的には………
  ・充実して生きること。
    前提=生にはしたい事がある。
     「生命」とはしたい事が心に溢れること。(=好きな事)
     「力」とは、したい事へ向かって駆動させる力のこと。
     「自由」とはしたい事ができること。(天真爛漫、自然児)
     「生命」「力」「自由」が十全に働く事を「充実して生きる」という。
   とりもなおさず、いきいき生きること。
   自由であるために、
     憂い・悩み・心配・煩いごとなどを持たぬこと。
     人に束縛されないこと。
   ・(心の状態)快適であること。

         ………具体的には………、
   ・したいことをする(原則)。
   ・好きなことをする(志)。
     創る。
      文学する。
       生を知る、探る、味わう。
        本を読む。
     快楽を味わう。
      五感で味わう。
      なにをする。

 3.(空 間)
   ・したい事がある自分を「捨てる」ことはできない。むしろ、
   生が人間に与えてくれるものを全ていただく。
     生を味わう。
     五感をフルに活用する。
   ・人に束縛されない。

 4.(時 間) 長寿を図る。

 5.(範 囲) 生命を宇宙の中でとらえる。

 幸いにも快く迎えられ返事は皆さんから返ってきたが、その中身はというとやはりと
いうか、三者三様。北の生き方を位置付けようと試みたが、そんなものを拙い言葉で提示
するより、皆さんの応えそのままを提示したほうが断然おもしろいことに気が付いた。以
下、御覧あって皆さんも同じ思いに駆られることと思う。




第23号 「てふの夢」 2010/5

ももとせの花にやどりて過しきてこの世はてふの夢にぞ有りける(大江匡房・一一五二年
頃)

 「てふの夢」の出所はもとより『荘子』。「昔(さき)に、荘周夢に胡蝶と爲(な)る。栩
栩(くく)然として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志に適へるかなと。周なるを知らざるな
り。俄然として覺むれば則ち蘧(きよ)蘧(きよ)然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と
爲れるか、胡蝶の夢に周と爲れるかを」。ここから「てふの夢」は、ひいては、人生のは
かなさに譬えられる。僕は若い頃より「今ここ」の充実を心がけてきた。とくに僕を夢中
にしたものに、ドストエフスキー、ベケット、現代詩、短歌、俳句、漢詩、ジャズ、チェ
ロ、オペラ、民謡、書道、白川静、絵画、宇宙、地球、生命ほか数十を数える。しかし今
ではそれらの起こす感興は大抵は淡い。いずれも「夢」のようだ。淡々とした毎日で、生
きる意欲そのものが衰えてきていることを感ずる。いつ死んでもいい。若い頃には考えな
かったことだ。自戒を込めて言うが、富岡鉄斎に倣い享年九十まで尻上がり調子に潑剌と
した作品を。この青年の誓いはどこへ行ったか。ところで、僕の手許には寄せ書きされた
日の丸の旗がある。戦死した父のものだ。十年ほど前、戦地沖縄で取得したとして、アメ
リカのある篤志家から還ってきた。「祈武運長久 為北傳吉君」のもと、五十ほどの名が
連なる。旗には特段の汚れもある。汚水か。しかしはっと思った。違う! 血痕だ、父の!
 この日章旗は七十年前の日本帝国の夢だった。そして三十五歳で絶寿した父の人生の夢
もそこに重なっている。旗を前にして悄然と「生きる」を思う。




第28号 「震災列島」 2011/8

▼東日本大地震に思うこと
①若い時から僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そう思い
ながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生きる」の
全てではない気がしたが答えが見えず、この十余年悩みといえば悩みであった。今回の大
地震はこんな自分のターニング・ポイントとなった。今回の震災は、「身を守る」こと、
「食べる」ことの大切さを僕に思い知らせた。それはある茫然自失した態の若い女性の映
像を見た時のことだった。彼女は何もかも、家や財産そして家族をなくしていた。「この
人はこれからどうやって生きていくのだろう」。自然の災害から身を守ることを常に心が
けるだろう。また命を繋ぐために食べていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いを
するというよりも、遊ぶというよりも、「生き物としてのこの身を」やしなっていかなく
てはならないと強く思うだろう。僕に人間の生物的側面が生には大切だと思い知らせた映
像だった。

②僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。

③当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙… タオルを側に置きながら。 「無限」「無」の世界ある
ことを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。

④人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。

⑤それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。

⑥『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸をひ
たし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いがある
ことは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという記述
はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかりだ。
これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はまとま
って助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助けよう
とし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはなかっ
た国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増しているの
だ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。

⑦「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。




第32号 「造次顚沛」 2012/8

 「造次顚沛(ぞうじ・てんぱい)」は、『論語─里仁』「君子無二終レ之間違一レ仁、造
次必於レ是、顚沛必於レ是(君子はとっさの場合やつまずいて倒れる場合でも仁から離れ
ない)」に由来し、とっさの場合やつまずき倒れるとき。転じて僅かの時間のたとえ。つ
かのま。一瞬のことである。四字熟語素の「造次」も同じく、にわかの時、わずかの間。
「顚沛」は、つまずき倒れること。転じてとっさの場合、つかのま、と変わらない。造次
顚沛は、『曾我物語』(南北朝頃)で「ききつる法門のごとくさうしてんぱい、一心不乱
に念仏す」。また『東京新繁昌記』(1874)で「口に天祖大神(あまつみおやのおおかみ)
の四字を唱ふれば、千魔万災必ず禳除せん。造次も必ず祖神と唱へ、顚沛も必ず祖神と称
し」などと使われている。(以上『日本国語大辞典』に依る)
 「一瞬」でくくられた語の収まったわが詞嚢は、繙いてみると、案に相違して貧しく、
慌てた次第だ。造次顚沛の他には次に記すのみであった。「瞬一瞬」「機が瞬一瞬と迫っ
て来る」『東京年中行事』(1911)。「瞬息の間」「此頃あくたれた時のお勢の顔を憶ひ
出させ、瞬息の間に其快い夢を破って仕舞ふ」 『浮雲』(1887)。
「倏(しゆつ)忽(こつ)」「然はあれど倏忽にして滅するや、彼も此も迹の尋ぬべきなし」
『即興詩人』(1901)。

 「造次顚沛」の掲出、言い換えると「一瞬」の掲出は、時期尚早に失した。自分でまだ
十分に把握しきれていない、考究中にあるものを出してしまった。少し気取っていたので
ある。それでも、皆さんの考えるきっかけに、ということだから、皆さんにおかれては、
頤(おとがい)を解くことになると思われるが、以下になぜ「一瞬」が大事か綴ってみたい。

 「一瞬」は「生きる」に深くかかわっている。このことが、「生きる」を今「在る」か
ら見つめ直している作業中に浮かび上がってきた。迂遠ながら、当方が大いに inspire さ
れたハイデッガー=古東哲明流の存在論を紹介しよう。
 この存在論は、まず、「存在者」と「存在」を区別する。存在者とは「存在するもの」
のことで、人間を始め森羅万象が含まれる具体的なものを指す。「存在」とは、「在るこ
と」を言う。
 ①「存在者」から見れば「存在」は「存在者」ではない。だから「存在」は存在しない。
 ②「存在者」は存在という底があるが、その「存在」にはもう底がない。(もしこの
   「存在」に存在というもう更なる底があれば、その存在にまたもう一つの底があるこ
  とになって、というふうにどこまで行ってもきりがない。だから存在に底があるとす
  るのは誤りとなる)。「存在」は無根拠である。
 ③以上より、「存在」は根拠(拠り所)を欠き、存在できない。「存在」は「無」であ
  る。

 「存在」と「無」は同じことの表と裏をなしている。炎(たとえばロウソクの)のたと
えを挙げよう。炎の中には燃え上がる動勢と使い尽され消え去る動勢がある。これらの動
静が一瞬のうちにからみあって燃え上がるという事態が起こっている。ここに「存在」と
「無」が表裏一体をなした。

 この存在論を時間論から見れば、存在=無というのは、直線時間でもなく円環時間でも
なく、垂直時間、「一瞬」というものに目をとめた時間論となる。ロウソクの炎には、一
瞬における生成、消滅がある。
 一瞬は一瞬ごとに始まりがあり終わりがある。始まりがあるのだからその一瞬において
天地が開闢する。人は一瞬ごとに森羅万象に立ち会っている。その生起と消滅とにである。

 この存在論をまた人生論から見れば、こうなる。
存在するものが、存在の根拠がなくて存在しているということは、考えてみると驚き以外
のなにものでもない。存在するものは、なくてあたりまえ、ないことが本来の姿、在るこ
とこそ異様だ、ということである。つまり存在するものが在るということは稀なことで、
神秘ですらある。「在る」こと、このことだけで人は幸せだ。
 私、あなた、そして、森羅万象が、一瞬ごとに出合っているということは、またもう一
つの驚きである。このお互いに稀なものどうしがたまたま巡り合っているということは、
またもう一つの神秘ではなかろうか。
 これらの神秘へ、直線時間で疲れた目をやろう。もう明日のことは思い煩わなくてよい。
昨日のことは忘れろ。あくせくするな。今・ここ、生命の息吹を生きよう。一瞬一瞬湧き
出てくる時間があることへ目をとめれば、人は存在神秘の歓喜に包まれるはずだ。生きて
いる! 生きている! 人はあまりにも目的から目的へ、用から用へまっしぐらに渡り歩
きすぎているのではないか?

 こうしてハイデッガー=古東流の存在論をここに受け売りしたが、当方、理解不足の生
兵法披露の謗りを免れ得まい。古東哲明氏の著書を挙げるので、皆さん自ら繙かれ、あた
られたい。
 『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)。これは本格的な理論書である。
 『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)。右の書に似ている。
 『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)。啓蒙書で易しく感情移入できる感がある。
 『他界からのまなざし─臨生の思想』(講談社選書メチエ)。今・ここを豊かにする生
  き方の実例。

 愚老は、学生の頃、「内からあふれ出てくるものを生命と名付け、その強さを力と称し、
外に対して通ることを自由と言う」、確かこんなふうに定式化して、それ以来その「生命」
「力」「自由」に則って生きてきたが、思うにこれは、ハイデッガー=古東流の「今・こ
こ」「生命の息吹」の「生きる」に重なる生を通してきたことになるのではないか。
明日はどんな楽しいことをしようと思いながら就寝の蒲団を敷いたものである。
 就職と言えば、文学部の学生にとっては当時一流の会社であった博報堂に内定したが、
卒業間近の三月になって先方へ出向いて内定を取り消した。わがままなものだ。向こうも
面食らったろう。大きな会社に入れば大きな責任を持たせられる。すると自分の性格とし
てそれを全うしようと全力を注ぐ。そのあまり、自分の心から望む好きなことはできない
であろうと思った。それが断った理由である。そうして小さな勤め先を選んだ。おかげで
長い間に倒産に次ぐ倒産で、生涯勤め先が変わったのは十指に余る。生涯貧乏である。思
うに我が人生は「働く」ではなく「遊ぶ」であった。
 古東哲明はまた、生の純粋形である、剥き出しの簡素な生命、生の息吹「ゾーエー」と、
生の所有形である、社会的な生「ビオス」の両方で、人生を押さえる考えも紹介している。
これは古代ギリシャ以来のものだという。(『瞬間を生きる哲学』)
 我が三十の頃「人の像をした美しい青い地球」を着想した。地球のエネルギーをもらっ
て生きたいという思いから、人と地球を合体させた。
 初めて見た地球の天体写真がとてつもなく美しかった。しかし漆黒の宇宙に青い地球が
浮かんでいるが、見ているうちになぜか羊が一匹跳ねた。青い地球のことをなぜ美しく感
じられたのか長い間分からなかったが、この羊が跳ねたのがなぜなのかも長い間分からな
かった。青い地球の美しさは、死を意味する暗黒の宇宙に対して生命に満ちた青い地球と
いう、この死と生のコントラストに感銘したと分かった。羊についてはやっと当節になっ
て一つの解が生まれたが、思うにこの羊は、生の純粋形「ゾーエー」のシンボルではなか
ったか。
 愚老はこのところ己が生涯をたどる作業にいそしみ、恥を含むエポックメイキングな事
件を拾ってきたが、「人生は社会化」との認識が固まりつつあった。子供の天真爛漫が社
会の壁にぶちあたり、子供は次第に社会化して大人になるが、これは生涯続く。これこれ、
人生の一つの押さえが可能だ! などと自分の中では発見であった。古東流に引き直すと
この押さえは「ゾーエー」と「ビオス」にあたり、愚老の生は「ゾーエー」マインドの生
だったのではないか。

 皆さん、皆さんの場合は、どうであろうか。この拙稿が、皆さんそれぞれの生を考える
一つのきっかけになれば幸いである。愚老の「生きる」を、六十歳近くになってまとめた
ものがあるので、以下恥を忍んでこれを掲げ、これまた皆さんの参考に供しよう。(なお、
この「生きる」はいま「在る」の知見が加わり、組み立て直しが将来あるかもしれない。)


こうしてこの生を生きた

 1.(肉体面)=(生物としての)生命を保つ。
    ・バランスよく食べる。
    ・危ない所には近寄らない。
    ・ちりも積もれば山となる。
 2.(精神面)
          ………原理的には………
    ・よりよく生きること。
    ・充実して生きること。
    前提=生にはしたい事がある。
     「生命」とはしたい事が心に溢れること。(=好きな事)
     「力」とは、したい事へ向かって駆動させる力のこと。
     「自由」とはしたい事ができること。(天真爛漫、自然児)
     「生命」「力」「自由」が十全に働く事を「充実して生きる」という。
   とりもなおさず、いきいき生きること。
   自由であるために、
     憂い・悩み・心配・煩いごとなどを持たぬこと。
     人に束縛されないこと。
   ・(心の状態)快適であること。
         ………具体的には………、
   ・したいことをする(原則)。
   ・好きなことをする(志)。
     創る。
     文学する。
     生を知る、探る、味わう。
     本を読む。
     快楽を味わう。
     五感で味わう。
     なにをする。
      ものを全ていただく。
     生を味わう。
     五感をフルに活用する。
   ・人に束縛されない。
 4.(時間) 長寿を図る。
 5.(範囲) 生命を宇宙の中でとらえる。




第36号 「古 典」 2013/11

古典への視座

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
った頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの
何十年ぶりかでこの本をひもといた。

「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」という大地震の描写では、《文がいい》
とその把握に感心したりした。
「地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず」。なるほど。「家の内にをれば、忽ちにひ
しげなんとす。走り出づれば、地われさく」。なるほど、なるほど。

 他のタイプの天災の記述もあった。
「また養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさま
しきこと侍りき。或は春、夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続
きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬収
むるぞめきはなし」。 飢饉の記述である。
 民はどうしたかというと、「これによりて、国々の民、或は地を棄てて境を出で、或は
家を忘れて山に住む」。「念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく
すれども、更に目見立つる人なし」。
 世では「さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるし
なし」。これが初年度だという。
 次の年も続く。「前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思
ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まささまにあとかたなし」。
ついに人々は「はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家
ごと乞ひ歩く」。この者達は「かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち
倒れ伏しぬ」。そうして「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知
らず」。世はどうしたかというと「取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ち
て、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬
・車の行き交ふ道だになし」。
 こうした遺体を数えたお坊さんがいた。それによると、「四、五両月を数へたりければ、
京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる
頭、すべて四万二千三百余りなんありける」。夥しい数の遺体が放置されていたのだ。さ
らに、「いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの
辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」。さらにさらに、「いかにいはんや、七
道諸国をや」。

 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時代
だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は直
ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手を
差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもかと
援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。

 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
 「足柄山といふは、四五日かねて、おそろしげに暗がりわたれり」。
 「をさかなかりし時、あづまの國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これ
 をや、この國に見すてて、迷はむとすらむと思ふ。人の國の恐ろしきにつけても」
「母いみじかりし古代の人にて、初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなば
 いかゞせむ。
 石山、関山越えていとおそろし」
「冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、風雨、岩も動くばか
 り降りふゞきて、雷さへなりてとゞろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひた
 るさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる」
などなど著者は様々の場面で「恐ろしさ」を感じている。かの頃の、実存空間は「恐ろし
かった」のだ。
 またそれは、「心細く」もあった。
 「片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあか
 きに、風のおともいみじう心細し」
 「いとゞ人目も見えず、さびしく心細くうちながめつゝ」
「父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにて
 ゐたるを見るも、頼もしげなく心細くおぼゆるに」
「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前
 に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる」
「又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞こゆる人の具し給へると、物語し
 て心細さを慰む」
「人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあ
 かしわびて、久しうおとづれぬ人に」
 などなど「心細さ」の記述が散見される。

 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。


 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。

11

 

東北大震災を思う

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 3月 5日(水)20時37分57秒
  .

            東北大震災を思う 2011/4/2~


千年に一度という未曾有の大地震があってからというもの、氏の思索はいよいよ深まった
ように思える。向かうのは、政治や企業への糾弾ではなく、人間の生き方、在り方そのも
のへの思索のように思える。そして、地震国日本の過去の人々が残した古典に目を向ける
のだった。
  「人を救うことが出来るのは言葉であって、その意味で言葉こそが命なのだ」
  「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではな
   くて言葉である。宗教でもなくて言葉である」

   これもまた故池田晶子の言葉である。





つれづれなるままに  2011/3/17
  このたびの未曾有の出来事に接して宇宙人のような自分もいろいろなことを考えさせら
れました。▼放射能という汚染は「この空気を吸っていいかどうか」を見ることを小生に
強いています。こんなことは生まれて初めてです。これも「生きる」です。これまでの「生
きる」「自分のこの行いが正しいかどうか」を見ることであったのとは全く異なっていま
す。(続)




とりあえずこの頃思うこと 2011/4/2

   ①若いときから僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そ
う思いながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生き
る」の全てではない気がしたが答えが見えず、この十年余り悩んできた。
 今回の震災は、「身を守る」こと、「食べる」ことを僕に思い知らせた。ある茫然自失
した態の若い女性の映像を見た時だった。「この女性はこれからどうやって生きていくの
だろう」。自然の災害から身を守ることを常に心がけるだろう。また命を繋ぐために食べ
ていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いをするというよりも、遊ぶというよりも、
「生き物としてのこの身を」やしなっていかなくてはならないのだ。人間の生物的側面が
生には大切だと当方は思い知らされた。
②僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。
③当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙…タオルを側に置きながら。「無限」「無」の世界あるこ
とを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。
④人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。
⑤それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。
⑥「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。
⑦この行いが正しいかどうか人に聞きながら生きるのが生、好きなことをして遊んで生き
るのが生、その根幹をなしているのが「身を守る」「食べる」生物的な生。そしてさらに
その生を生たらしめているのが、「在る」。どうやらこんな世界観がまとまってきた。




「無」「無限」そして「震災文学」 2011/5/8

 同人αへ投稿したら、うまくつながりません。「正しいメールアドレスを入力して
ください」ということです。古賀君のほうからそちらのほうへ転送する便宜はありま
しょうか。下にその投稿文を記します。

 仕事、仕事と続き、ゴールデンウィークも末になった今日やっと『α』にたどりつ
きました。古賀君からは小生の合評が始まっている旨の連絡を受けており、ありがた
く思いながら、今しがた拝見しました。皆様、有り難うございます。『人の像をした美
しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生きようとの思い
から、地球と人間の合体を試みたものです。 その後初老に至って「無」「無限」が視野
に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っております。このたびの
震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対して根本的な
疑問を投げつける態のものでした。「生きる」をつきつめようとしてきた者にとっては、
この体験は捨て置くことはできません。先々また新しい作品の展開ができればと思います。

 また『α』につき原稿はは届けましたが、あとがきはまだ古賀君の許まで送っていませ
んでした。上記の文を少し修正して、次の文にします。

 『人の像をした美しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生
きようとの思いから、地球と人間の合体を試みたものです。その後初老に至って「無」「無
限」が視野に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っております。
このたびの震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対し
て根本的な疑問を投げつける態のものでした。自分の「生きる」がやっとまともになって
きたような感じです。先々また新しい作品の展開ができればと思います。

 ときに古賀君、「コメント集」で、拙作のキャンバスを久々目にしました。これは色重
ねが美しくなるように気は遣いながらも、自由気ままに、筆を走らせたものです。何を描
こうというのではなく、ある所でエイヤッと人の顔を拾ったという製作過程です(『言葉
集め星創り』の製作と同じこころ)。歌麿にならって「大首絵」と称しています。自分で
言うようですが、いい絵じゃないですか(笑)。懐かしいです。
有り難う。




「震災列島」 2011/8 同人α28号前書き

▼東日本大地震に思うこと
①若い時から僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そう思い
ながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生きる」の
全てではない気がしたが答えが見えず、この十余年悩みといえば悩みであった。今回の大
地震はこんな自分のターニング・ポイントとなった。今回の震災は、「身を守る」こと、
「食べる」ことの大切さを僕に思い知らせた。それはある茫然自失した態の若い女性の映
像を見た時のことだった。彼女は何もかも、家や財産そして家族をなくしていた。「この
人はこれからどうやって生きていくのだろう」。自然の災害から身を守ることを常に心が
けるだろう。また命を繋ぐために食べていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いを
するというよりも、遊ぶというよりも、「生き物としてのこの身を」やしなっていかなく
てはならないと強く思うだろう。僕に人間の生物的側面が生には大切だと思い知らせた映
像だった。

②僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。

③当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙… タオルを側に置きながら。 「無限」「無」の世界ある
ことを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。

④人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。

⑤それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。

⑥『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸をひ
たし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いがある
ことは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという記述
はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかりだ。
これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はまとま
って助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助けよう
とし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはなかっ
た国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増しているの
だ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。

⑦「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。




古典への視座  2013/11 α36号テーマ前書き

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
った頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの
何十年ぶりかでこの本をひもといた。

「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」という大地震の描写では、《文がいい》
とその把握に感心したりした。
「地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず」。なるほど。「家の内にをれば、忽ちにひ
しげなんとす。走り出づれば、地われさく」。なるほど、なるほど。

 他のタイプの天災の記述もあった。
「また養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさま
しきこと侍りき。或は春、夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続
きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬収
むるぞめきはなし」。 飢饉の記述である。
 民はどうしたかというと、「これによりて、国々の民、或は地を棄てて境を出で、或は
家を忘れて山に住む」。「念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく
すれども、更に目見立つる人なし」。
 世では「さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるし
なし」。これが初年度だという。
 次の年も続く。「前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思
ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まささまにあとかたなし」。
ついに人々は「はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家
ごと乞ひ歩く」。この者達は「かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち
倒れ伏しぬ」。そうして「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知
らず」。世はどうしたかというと「取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ち
て、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬
・車の行き交ふ道だになし」。
 こうした遺体を数えたお坊さんがいた。それによると、「四、五両月を数へたりければ、
京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる
頭、すべて四万二千三百余りなんありける」。夥しい数の遺体が放置されていたのだ。さ
らに、「いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの
辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」。さらにさらに、「いかにいはんや、七
道諸国をや」。

 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時代
だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は直
ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手を
差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもかと
援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。

 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
 「足柄山といふは、四五日かねて、おそろしげに暗がりわたれり」。
 「をさかなかりし時、あづまの國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これ
 をや、この國に見すてて、迷はむとすらむと思ふ。人の國の恐ろしきにつけても」
「母いみじかりし古代の人にて、初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなば
 いかゞせむ。
 石山、関山越えていとおそろし」
「冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、風雨、岩も動くばか
 り降りふゞきて、雷さへなりてとゞろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひた
 るさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる」
などなど著者は様々の場面で「恐ろしさ」を感じている。かの頃の、実存空間は「恐ろし
かった」のだ。
 またそれは、「心細く」もあった。
 「片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあか
 きに、風のおともいみじう心細し」
 「いとゞ人目も見えず、さびしく心細くうちながめつゝ」
「父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにて
 ゐたるを見るも、頼もしげなく心細くおぼゆるに」
「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前
 に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる」
「又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞こゆる人の具し給へると、物語し
 て心細さを慰む」
「人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあ
 かしわびて、久しうおとづれぬ人に」
 などなど「心細さ」の記述が散見される。

 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。


 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。

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読書へのいざない

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 3月 5日(水)19時45分49秒
編集済
  .


           読書へのいざない 2002/5/28~





読書会への勧誘    2002/5/28  落書き帳

 南方熊楠は伝説の大読書家で、和漢の膨大な書籍の読破はおろか、次々にものしためぼ
しい外国語でも読み進め、明治大正のあの当時それはエチオピア語にも及んだそうです。
 立花隆も大の読書家です。学生時代に既に、世界文学の読破は自分の右に出る者はなか
ろう、と豪語しています。
彼は、学生を終えるころ不忍池近くの根津に住んでいました。アパートを訪れると、おび
ただしい書籍がミカン箱に
入っています。
自分の例にならって「三分の一ぐらいは読んでる?」ときくと、「全部読んでるよ」と不
快げな答えが返ってきました。
 世の中は不思議がいっぱい詰まっています。宇宙論は現在多宇宙まで論じられています。
相対性理論と量子力学は統一されようとしています。科学の知見は産業革命以来といわれ
る未曾有の変革をもたらそうとしています。外国人から見た日本の文化は、海の文化・木
の文化と映るそうですが、我々はこれらについてどこまで知っているでしょうか。逆に外
国へ目を転ずると、我々が「イスラム」に関していかに無知であるか、あの昨秋の同時多
発テロ以来、明らかになりました。同人の一人田村道子さんは、大学で教えている関係で、
ジェンダーに興味を持っています。
古賀和彦君は、河野多恵子はじめ黙々と純文学関係の本を読んでいます。世の中知りたい
ことがいっぱいです。

 この度、我々同窓生の間で、「読書同好会」を持つ運びとなりました。同人の北島浩之
君は、種々雑多月々五六冊は読み上げている本好きです。古賀恵義君は、もっぱら専門書
読破の生涯であり、時間のできたこれからは一般書を読んでみたい、とのことです。中島
勝彦君も専門の鳥に厚味を持たせたいもののようで、意欲を見せています。
 読書会の進め方はいろいろあって、この本を読もう、というよくあるしばり方も一つで
すが、テーマしばりもその一つかな、ということで、今回第一回は上記「イスラム」でい
こう、ということになりました。「イスラム」関係の本を、新書、文庫など薄い物でもい
いですから、一冊は読んで月に一回(または二月に一回)程度の会に持ち寄り、これが面
白かった、「イスラム」とはこういうことだって、と茶菓をつまみながら(一杯やりなが
ら)、わいわい述べあうことになると思います。テーマは誰が提案してもよく、面白そう
だとそれが次のテーマになります。
 六十を過ぎるとやにわに「人生の秋」感、「人生の黄昏(たそがれ)感」が強くなりま
した。いいじゃありませんか。秋から冬にかけ、また夕方から夜にかけ、時間はたっぷり
あります。読書会であなたも人生をさらに豊かにしてはいかがでしょうか。




「震災文学」と古典       2011/8 α28号テーマ前書きより抜粋

▼東日本大地震に思うこと
 ⑥『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸
をひたし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いが
あることは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという
記述はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかり
だ。これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はま
とまって助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助け
ようとし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはな
かった国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増してい
るのだ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。

 ⑦「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立っ
て「止めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の
文学の原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごま
んと生まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、
震災の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教
えた。ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、

今回あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも
広い人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学とな
り、世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。




造次顚沛/存在論   2012/8 α32号テーマ前書きより抜粋

 一瞬は一瞬ごとに始まりがあり終わりがある。始まりがあるのだからその一瞬において
天地が開闢する。人は一瞬ごとに森羅万象に立ち会っている。その生起と消滅とにである。

 この存在論をまた人生論から見れば、こうなる。
存在するものが、存在の根拠がなくて存在しているということは、考えてみると驚き以外
のなにものでもない。存在するものは、なくてあたりまえ、ないことが本来の姿、在るこ
とこそ異様だ、ということである。つまり存在するものが在るということは稀なことで、
神秘ですらある。「在る」こと、このことだけで人は幸せだ。
 私、あなた、そして、森羅万象が、一瞬ごとに出合っているということは、またもう一
つの驚きである。このお互いに稀なものどうしがたまたま巡り合っているということは、
またもう一つの神秘ではなかろうか。
 これらの神秘へ、直線時間で疲れた目をやろう。もう明日のことは思い煩わなくてよい。
昨日のことは忘れろ。あくせくするな。今・ここ、生命の息吹を生きよう。一瞬一瞬湧き
出てくる時間があることへ目をとめれば、人は存在神秘の歓喜に包まれるはずだ。生きて
いる! 生きている! 人はあまりにも目的から目的へ、用から用へまっしぐらに渡り歩
きすぎているのではないか?

 こうしてハイデッガー=古東流の存在論をここに受け売りしたが、当方、理解不足の生
兵法披露の謗りを免れ得まい。古東哲明氏の著書を挙げるので、皆さん自ら繙かれ、あた
られたい。
 『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)。これは本格的な理論書である。
 『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)。右の書に似ている。
 『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)。啓蒙書で易しく感情移入できる感がある。
 『他界からのまなざし─臨生の思想』(講談社選書メチエ)。今・ここを豊かにする生
  き方の実例。




古典への視座  2013/11 α36号テーマ前書きより抜粋

 古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
た頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの何
十年ぶりかでこの本をひもといた。
(略)
 僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時
代だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は
直ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手
を差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもか
と援助の手が伸びるだろう。
 『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。
 ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!

 『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
 『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
(略)
 かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。

 僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。
 

大和ことばの味わい

 投稿者:キメラ17号  投稿日:2014年 3月 5日(水)19時27分22秒
  .

        大和ことばの味わい 2011/4/2~



 北氏は大和ことばに魅せられている。、『日本国語大辞典』(小学館)13巻をこつこつ
読み開き日々言葉と戯れるのだ。
「友達としゃべっても、メールのでの文字もしゃべり散らし、書き散らしでたちまち忘れ
てしまう。そういう言葉は、言葉のようで、実は本当の言葉ではないんだ。本当の言葉と
いうのは、人間をそこに立ち止まらせ、耳を澄まさせ、考え込ませるものなんだ。」
言葉に拘った池田晶子が『14歳からの哲学』に書き残した言葉だ。
 大和ことばの中に、「本当の言葉」を北氏は感じ取っているのだろう。





「お気に入り」『BUTTERFLY EFFECT』*  2010/2/16    旧α掲示板    *同人α22号作品

 エラさんのこの詩はとても良いと思いました。人里離れた自然のただ中で、一人の人が
死を迎える。人間は生き物の一部、さらに大自然の一部、そういう思いがひしひしと伝わ
ってきました。蝶や蝉、蜻蛉や蛇の行う生の営み、それに伴う、光、陰、風などの変化、
一旦事が起これば、次次と縁が縁を呼んで、諸事息を呑むほど密やかに行われる。その縁
の中で一人の人が死を迎えた。素晴らしいじゃないですか。人間の生の一面それも大事な
一面を的確に捕らえた詩だと思いました。
 やはり僕は古来の水墨画的風景画好きなのでしょう。「丈山尺樹寸馬豆人」的な風景
の抑え方に心がなごみます。人を描いてもいいが、西洋画に多くあるように、絵の真ん中
にどかんと据えてはいけません。人は、一丈もある山のもとに、豆のように小さく描かれ
るべきです。人間中心ではなくて、人間は自然の一部、一部、ごくごく一部。(もっとも
西洋画云々は当方の勝手な思いこみで、ターナーなど人間は自然の一部として描いている
ように見えるのもあるじゃないか、と言われるかもしれません。その時は自分の浅学を恥
じてすごすごと引き下がります。)
 またこのような見方はどうでしょう。僕らみなそうだと思いますが、俳句を通して自
然を見るなにがしかの目を持っている。その目がエラさんの目と似通っている。小さなも
の、微かなものに目をとめること、そして先程来の人間は自然の一部に過ぎないことなど
がそうです。一読したとき僕はむしろ芭蕉の「古池やかはづ飛び込む水の音」を思いまし
た。エラさんは、日本的感性だ!と。(エラさん、カチンと来ませんように!)しかし俳
句の場合、季語に囚われている面があって、エラさんのようにかほどに、想像を羽ばたか
せ、詳しく、詩情豊かに、自然をうち見ることは、かつてなかったように思います(少な
くとも自分には)。そういうわけで、この詩は衝撃的で、なにか「目から鱗が落ちる」趣
もあり、自然を見る新しい目を与えてもらったような思いもします(こんな詩を僕も書い
てみたい)。
 原文はゆったりとしたリズムがあり、それはとりもなおさず、大自然のリズムと感じ
させ、読み手も読みながらそのリズムに体を揺らし、その大自然の一部になっていること
に「幸せだなあ」と思う、言い換えると、生きていることをことほぐ趣となります。平易
な優しい言葉を使った一流の詩編だと脱帽しました。
 それにしてもわれわれの受験英語では窺うことのない珍しい単語が、さすが出てきま
したね。Blistering とか letup とか zephyr とか slither  とかcattail とか、20語ほ
ど辞書を引いてしまいました。エラさんには、今度はお返しに、数々の大和言葉を教えて
やりましょう(うしろやすし、かたほなり、らうあり、らうたし、むくつけし、いはけな
し、などなど)。目を白黒させるかな? もっとも彼女のことだから、この程度のことは
先刻ご存じか。
(皆さん、無沙汰しています。この文は、もともと古賀君宛にしたためたものを、古
賀君に促されてここにも掲出したものです。どうそお許しを)




クイズ解答を試みます   2010/ 2/21    旧α掲示板

 エラさん、大和言葉のクイズへの挑戦ありがとうございました。ここに正解を披露しま
す。お楽しみ下さい。

*「うしろやすし」=【後ろ安し】安心だ。reassuring, safe
  例文=「人となして、うしろやすからむ妻などにあづけ(現代語訳=一人前にして、
     安心な妻などに託し)」。
 ・反対語は「うしろめたし」=【後ろめたし】気がかりだ。心配だ。uneasy,
       worried, anxious
  例文=「思うにかなは(wa)ずぞあらむかしとぞ、うしろめたきに(=思い通りに
      ならないだろうよと、きがかりな)」
エラさん、「うしろ【後ろ】」の語が登場しているので、blackmail はいい想像でしたね。

*「かたほなり」=【片(kata)秀(ho)なり】不十分だ、不完全だ、未熟(mijuku)だ。not
    enough, issuffisient; imperfect; immature, inexperienced
  例文=(芸(gei)が)いまだかたほなるより、上手(johzu)の中にまじりて(=芸がま
         だ未熟な時から上手な人の中に交じって)。
 ・反対語は「まほなり」=【真(ma)秀(ho)なり】よく整っている。完全だ。perfect
    例文=「書きざまをかしきを、まほにもおは(wa)する人かなと見る(=書きざま
がすばらしいので、よく整っていらっしゃる人だなあと見る)」
エラさん、「かた」は、この場合「肩」ではありませんでした。「片」は未熟を意味する
と僕らは感じる語です。また「ほ」の rice はいい想像でしたね。「秀」を意味する「ほ」
は、僕らも「穂」から出ているのではないかと思います。

*「らう(roh)あり」=【労あり】熟練している。skilled, expert
  例文=「世にも労ある者と覚え(=世の中でも熟練している者だと人々に思われ)」。
エラさん、「らう(roh)」は漢字の「労」で、「らうあり」の全体は、大和言葉ではありま
せんでしたね。すみません、ミス掲出でした。「あり」は、 "be" を意味します。「らうあ
り」は、労がある、との意味です。

 長くなってしまいましたね。「らうたし」「むくつけし」「いはけなし」は、次にまわ
しましょう。
 なお、諸君、これらの語釈や例文は、種を明かせば、現今の高校生が使う古文参考書
からの、まる写しです(『合格古文単語380』)。興味在る方それを繙いてみてください。
(僕はいま塾で古文の勉強も見るはめになっているんですよ)。




「色」    2012/5/25

 「古い日本語もなかなかいいものだ、優れものだ」と言い、「日本語の奥深さ」に触れ
た万里さん。共感です。「色」についてだけでも(そして自分がいいなあと思って拾った
ものでも)こんなにあります。

 ある(=チャーミング)娘 色つぼむ梅 色と慾との二筋道 色に上下のへだてなし
色に染められた 色に耽り、酒にふける 色の粉(=きなこ、女房詞) 色の丸(=あず
き) 色の水(=みそ汁) 色の世 色ふか(=容色)情けあれば 色ふかく思ひし心
婬を好み色ををもくして美人を尋ぬる事天下にあまねし 色々の香は色を尽くして麝香、
沈、丁字 怫然として色をなす 色を見て灰汁をさす(=花を見て枝を折る) 色悪 色
争い 色々威し 色々衣(ゴロモ=つぎはぎ) 色々しき 色隠居 色がたき 我らもち
っくり色がま刃がま 色がましい(=好色) 色神 移した移した色神移して流してしゃ
んしゃん 色狩り 色好み・好き者 色出入り 色盛り恋盛り、情け盛り 御かたちも御
色ざしも実に美しく 色沙汰 色様の床几を(=なまめかしく美しい人) 色地獄 色品
尽くす 娘は庭におりて、身振ひに色科やりて、明日の晩よりの踊りのならし 色上戸
色を知らず 色白はかくべつ目立つ洗ひ髪 今時の女、見るを見まねに、よき色姿に風俗
をうつしける 色ずくめ 色相撲(=女相撲) 左のこめかみの薄い肉がふくらまって色
ずんでいる 色大将 色談義 紅葉やうやう色づきわたりて 草も木も色づき渡りて春雨
に これぞ今の世の色づくし美人揃え いっそここでどれぞ芸子に色付け(=芸妓が客に
初めて肌を許すこと)をなさりませぬか 色勤め 色つやのない挨拶・色つやをつけて話
す 今を盛りの桜の色どき 色床 色留袖←→黒留袖 花鳥の色音 花屋に寄って色花を
買った 色話 色婆 色文・濡れ草紙・たまづさ 色奉公 染物の色本 惣て色身を遠ざ
け 色冥加 色無垢 色娘男の顔へなんをつけ 色めかしくうち乱れたる所なき 色めき
・色めきたつ・色めきわたる・色めく 色飯 (怒って)思はず色目立ち 色目人しきも
くじん 色模様∧濡れ場 色役者……

 どうです。たまらんでしょう? 大和言葉「いろ」によって捉えられたものが、我々に
はたまらんのです。
出典は小学館の『日本国語大辞典』です。この大辞典は然13巻あります。日本語好きの
僕は全巻通読の壮図を立てました。5,6巻まで行って、塾や校正など新しい環境になった
ため、5年前から沙汰止みになっております。僕が願を立てたのがちょうど60歳の時。
1年1巻進めます。万里さんは本好きだし、まだ若いし、ぜひ通読してもらいたい。日本
語の奥深さに触れられるし、また日本にこんな珍奇なことをやっているヒマ人は他にはい
ないはず!




新年の挨拶   2014/1/5

 皆さん、明けましておめでとうございます。
 昨日、古賀君に「挨拶」の電話をしたところ、モロちゃんの話が出ました。可愛いと
思って、ここに披露しようとしたら、すでに古賀君本人がぶっちゃけているではないです
か。トホホホ…… (ちなみにモロイはベケットの小説で、この名を聞けば、自分ほろり
とします)
 元日より一念発起してまた『日本国語大辞典』通読に戻りました。第9巻の329頁よ
り開始です。「人の死屍のツシミ腫れ爛れ臭れる」をノートしました。ツシムはにくづき
に旁は逢という見たこともない字でした。肌に黒っぽい斑点が出ることを言うそうです。
本当は貧弱なのに、長岡さんに「神野さんは言葉が豊富だ」とお褒めの言葉をいただき、
恥ずかしいと発奮した次第です。(ですが、まあ気分屋ですので、これまたいつまで続く
ことやら。)
 本年もよろしく!




今日の『日本国語大辞典』 2014/1/10

【筒抜け声】さえぎるものがあっても筒抜けに聞こえるような太く大きい声。「佐々木
先生が立ち上がって、どもり気味な筒抜け声で視学者に質問を発した」(石坂洋次郎)

【筒音(つつね)】笛、尺八などで指孔を全部ふさいだ時に出る音。

【つづまやか】「人は己をつづまやかにし、奢りを退けて、財をもたず、世をむさぼら
ざらんぞ、いみじかるべき」(徒然草)

【堤】相撲の土俵。「相撲(すまひ)なども、清涼殿にて中宮は御覧ず。儀式有様さる方
に見どころあり。裸なる姿どもの並みたちたるぞ、うとましかりける。御前につつみかき
て、月日山などありけり」(栄華物語1028頃)

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古賀幸雄の回想録について

 投稿者:同人α総務  投稿日:2014年 3月 3日(月)06時44分33秒
編集済
  .


    古賀和彦君の父上、古賀幸雄の回想録について  1997年


厳冬の玄海灘で自分の乗った船が難破した。呑まず食わずで漂流すること五日。小さな
帆船で大波と嵐と闘いづめだ。助かってみると、この生きるか死ぬかの体験は、以後の生
きる力、苦難を堪え忍ぶ力となった。--同窓生、古賀和彦君の父上、幸雄氏の回想録が
できた。
 恋は純情だった。置き手紙で恋心を知らせた。時に氏は十九、思われ人は十五。ふられ
たとみるや潔く身をひく。それでも思い続けた。娘さんが二十になり、歳も満ち、ようや
く自分の気持を示した。大丈夫か、本心か、思いやり深く氏は確かめ、奥ゆかしくも性急
にことを運ばない。
 氏の回想録には、我々の父母の時代ならさもあらむ、このようなエピソードが、随所に
ある。落語に出てくるような頑固な大家がいる。氏は見込まれ、家族に部屋を貸してもら
った。移り住んでみると、これが同じ屋根の下、家族の一員として暮らすという。飯の釜
が一つだ。氏でさえもこれには驚いたが、さらに間貸し賃はとらぬという。確かにそんな
こともあったろうなあ、と今ではまぶしさを覚える。
 さらに氏の「家族の幸せ第一主義」の人生設計。くだんの娘さんを貰い受けるに際し、
娘さんとそのお母さんを幸せにすることを約束する。そして生涯本当に身を粉にして働き
づめだった。ウーム、読んで胸を打たれる。自分本位になりがちな私たち子の世代であっ
た…のではないか。
 古賀和彦君は、希望者には贈呈すると言っているから、どうぞ、皆さん、詳細を読んで
ほしいと思う。楽しめ、裨益すること大、請け合いの本である。最後に、商売・ビジネス
サイドのエピソードを一つ。氏は事情あって、地元鹿島から佐賀へ出てきた。見知らぬ土
地で、農機具の修理、稲の雨避け片付け、町への使い、開店まで一年半というもの、何で
も無料でやった。この策が見事に功を奏して氏に信用がつき、店を開くや、恩を受けた人
たちが次々に買いに来てくれた。同業者が効率と低価格を標榜したのに、そっちは閑古鳥
が鳴いている。「営業は信頼の獲得から」と、この経済不振の時代に言われることを、氏
はとうの昔に実践していた。


注)父幸夫が残した回想録を本にしたいとの高校の同窓生(古賀和彦)の相談を受けその
  校正を引き受けたいきさつがあった。
    ※『不器用に、ひたむきに』 -古賀幸夫回顧録-  1997/7/7
      発行者:古賀初代 監修:古賀和彦 印刷:日本印刷(株)
 

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